認知症患者の数は2025年に約700万人になると見込まれています(内閣府資料)。
症状は段階的に進行し、いったん判断能力の低下が始まると、財産の管理処分について周囲の人を悩ませます。出来るだけ健康なあいだに準備を整え、万一の際に備えると良いでしょう。
下記ではまず「認知症への備え」が必要な理由を紹介し、高齢期に向けてどんな対策ができるのか具体的に解説します。
目次
認知症患者に起こる「財産管理の問題」とは
認知症の症状が出始めると、日常生活よりも先に財産管理の問題に直面することになります。詐欺や不正から本人の財産を守るため、預金や将来の相続財産について出来ることが限られるからです。
預金が下せなくなる
本人とその介護者にとって目下の悩みになるのが「預金が下せない」問題でしょう。
預金保護と犯罪阻止の観点から「預金は名義人本人もしくは指名された代理人しか下せない」とするのが金融機関の通常の運用です。名義人の金銭管理能力が失われ始めると、本人による出金申請にも応じてくれません。
となると、預金を引き出せるのは、本人のために身上保護と財産管理を行う「後見人※」のみです。しかし現在の成年後見制度(事理弁識能力が失われた人のための民法上の制度)では、後見人が選ばれるまで一定の時間がかかり、選ぶ権限も家庭裁判所にあるのが現状です。
※事理弁識能力がまだある程度残されている人については、後見人ではなく「保佐人」または「補助人」をつけることも可能です。しかし代理で財産管理を行う権限は原則として「後見人」にしかなく、保佐人や補助人については別途代理権を付与してもらえるよう申立てしなければなりません。
相続対策が出来なくなる
いったん認知症を発症してしまうと、残された判断能力の程度に関わらず、遠からずやってくる「相続」の備えも出来なくなります。
その理由のひとつは、民法で定められる「被後見人の遺言の制限」です。
本人のために後見が始まると、認知症からの回復を医師が認めない限り、遺言書を作成することは出来ません。遺言はそもそも代理になじまない行為であり、後見人に代わりに作成してもらうことも不可能です。
同じように「不動産の売買契約」や「代表取締役の地位を維持すること」も、民法や会社法で制限されています。
売買契約などの取引に関しては後見人でも可能ですが、あくまでも本人の財産を減らさない範囲に限られ、その上家庭裁判所の許可を逐一得なければなりません。
以上のように、死後の財産処分について意思表示したり、あるいは節税や事業承継を意識して財産を整理したりすることは、認知症を発症した時点で事実上まったく出来なくなるのです。
やっておきたい認知症対策
では、万一の認知症発症に備えて本人に出来ることとして、どんな対応が考えられるのでしょうか。紹介した財産管理に関する問題点を踏まえて紹介します。
預金凍結に備える
預金が下せない問題への備えとしては、平成11年から認められるようになった「任意後見契約」のほか、金融機関で提供されている信託サービスの利用が考えられます。
任意後見契約とは
任意後見契約とは、あらかじめ後見人を指定して契約を結び、判断能力の低下が見られた時点で速やかに後見を開始する制度です。成年後見制度に比べて優れている点として、下記2点が挙げられます。
メリット1:本人の意思で後見人を選べる
任意後見契約では「本人の意思」が尊重され、後見人を自分で選べます。後見人側の事情(意欲や将来に対する考え方)を契約締結の際に確認しておけるのもメリットと評価できます。
メリット2:後見内容もある程度指定できる
後見人を誰にするかだけでなく、その業務の内容についても、契約内である程度定められます。
定められる事項には「居住しない不動産の売却権限」といった財産管理に関することだけでなく、他にも「延命治療の方針」「埋葬や葬儀の方法」などの死亡前後の事務も含まれます。
また、任意後見契約を結ぶ際は、執行力を持つ信頼性の高い「公正証書」で行います。合意内容がきちんと履行される点でも安心です。
預金を対象にした信託サービス
後見制度や契約以外の対策としては、認知症発症後に一定の制限下で預金から給付を行う「信託サービス」が挙げられます。
本サービスは信託業者として許認可を得ている銀行が行っており、メガバンクをはじめとして地方銀行にも広まっています。
【信託の仕組み】
まずは信託業者と預金者のあいだで契約を結びます。この際、預金のうち一定額を切り出して「信託財産」とし、将来の介護者や後見人を「手続代理人」(※名称は業者により異なる)に指名します。
その後認知症の診断書が銀行に提出されると、信託の解約に制限がかかり、手続代理人を通して給付が開始されます。給付方法には、日常の生活費としての「定期定額払い」や、医療費や手術費を使途とする「一時払い」などがあります。
こうした認知症向けの信託サービスは、金融機関ごとに提供内容が異なります。信託の下限額や給付条件を比較し、より都合のよいものを選びましょう。
遺言書を作成しておく
預金凍結対策と並行して、遺言書の作成も行いましょう。
遺言書は形式そのものも大切ですが、その内容を検討する段階が最も重要です。相続準備として作成する上で、下記の点はしっかり検討しなければなりません。
どんな相続財産があるのか
まずは所有する資産を一覧化した「財産目録」を作成しましょう。相続財産として扱うものには、住宅ローンの残債などの「債務」も含まれます。
納税資金は十分か
相続財産が換金性の低い高額資産(不動産や非上場株式など)に偏っているケースでは、相続税を支払うための現金が不足する可能性があります。
相続税の試算を行い、死亡時点でどの程度キャッシュが残されているのか予測を立てましょう。足りない場合は、一部資産の売却を健康なうちに行っておく等の納税資金対策が必要です。
参考になる記事:家族で知りたい「相続税の基礎知識」
相続トラブルになる可能性はないか
「資産家ではない」と自己評価する人にとっても、相続トラブルは無縁ではありません。
特に、晩年に認知症を発症したり寝たきりになったりするケースでは、介護者と別居家族とのあいだで不満をぶつけ合うケースが多発しています。
遺言書で相続分の指定を行うときは、遺留分や特別の寄与をする同居家族に配慮して、バランスのとれた内容にしましょう。
遺言はどんな形式にすべきか
遺言書には、①自分で文面を作成するもの(自筆証書遺言・秘密証書遺言)と、②公証役場に依頼して公文書化するもの(公正証書遺言)の各形式があります。
①は文面の誤りで無効になる可能性があるばかりでなく、認知症による物忘れで紛失する懸念もあります。費用はかかりますが、出来るだけ②公正証書遺言で作成すると良いでしょう。
参考になる記事:遺言書作成前に知りたい「3つの形式」―内容を無効化させないための基礎知識
経済的な支援制度を知る
相続財産をより多く確保しながら本人・介護者ともに不足ない生活を送るため、下記のような経済的な支援制度を知っておくことも大切です。
※数ある支援制度のうち、特に認知症の治療・介護・日常の支援に役立つ制度を紹介しています。
【医療費負担に関する制度】
●自立支援医療(精神通院医療)
精神科で認知症の治療を行う場合に、自己負担額を1割にする制度です。※所得等による上限があります。
●高額介護サービス費
介護保険サービスの自己負担額がひと月の上限額を超えたとき、その超過部分を支給する制度です。
●高額医療・介護合算療養費
同世帯で医療と介護の両方のサービスを利用したとき、1年単位で自己負担額の軽減を図る制度です。
●住宅ローンの免除
団体信用生命保険の「高度障害特約」により、認知症と診断された時点で残債の免除がされる可能性があります。
おわりに
認知症を発症すると、日常生活で明らかな問題が起こる前に「預金が下せない」「相続の準備ができない」と悩むことになります。
任意後見契約や信託サービスを駆使して発症後に備えつつ、相続準備も早めに開始しておくとよいでしょう。